フジテレビ×JJの就活生応援企画の第3弾は、「Live News α」や「Mr. サンデー」を担当する三田友梨佳アナウンサーが登場。三田アナウンサーにこれまでの担当番組を振り返っていただきながら、フジテレビで歩んできたキャリアをお話していただきました。アナウンサーを目指すみなさんの参考になることも多いと思いますので、じっくりご覧ください。
◆こちらも合わせてチェック!
自分の知らない自分を知った1年目
(写真左、入社当時の三田さん)
Q.1 入社1年目から看板番組だった「笑っていいとも!」に出演されました。当時の心境は?
「笑っていいとも!」に限らないのですが、どの番組でもガチガチでした(笑)。周りはもちろん有名な方ばかり。メイク室ではタモリさんの隣に座らせていただくこともあり、手が震えてアイラインが引けないほどいつも緊張していました。そんな私を見兼ねて、「生放送は始まったら終わるんだから、楽しんだもの勝ちだよ」とタモリさんが声をかけてくださって。それまではなんでも「完璧にやらなきゃ!」と思って緊張していたのが、その言葉でホッとしたと同時に、少しずつ力を抜いて番組に臨めるようになりました。
Q.2 1年目からたくさんのバラエティ番組に出演されていましたが、入社される際はどんなキャリアプランや目標を持っていましたか?
入社当時の目標はオリンピックの取材に携わることでした。1年目からいろいろなバラエティ番組に出演する機会をいただきましたが、実際にやってみるとすごく楽しくて。入社前は、自分にはバラエティは向いていないかな? と思っていましたが、自分の新たな一面に出会えたのが1年目だったと思います。
Q.3 最初にアナウンサーを目指そうと思ったのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?
両親が共働きで幼い頃から祖父と過ごす時間が長かったんです。あるとき、祖父と一緒にテレビを観ていたときに「このアナウンサーは友梨佳に似ているね。友梨佳が出てくれたら嬉しいなぁ」と話してくれたことがあって。自分で話すのも恥ずかしいのですが、それがアナウンサーという仕事を意識するようになったきっかけです。大学卒業後は大学院への進学も考えていたのですが、就職活動のタイミングでアナウンススクールに通い、それを機に次第に本気で目指すようになりました。
「めざましテレビ」のスポーツ担当になり夢が叶った2年目
Q4. アナウンサーを目指す中でも、スポーツのお仕事を志望されていたと伺いました。その理由を教えてください。
スポーツが好きだったというのが大きな理由です。学生時代、4年間野球部のマネージャーをしていて、勝負の裏にどれだけのドラマがあるのかを近くで見てきました。その経験を通して、アスリートたちの普段知ることのない素顔を、テレビを見ている方に伝えたいと思ったのも理由のひとつです。
Q5. その希望は4年目にソチオリンピックのキャスター、8年目に平昌オリンピックのキャスターに起用されることで叶うことになります。夢だったオリンピックに携わってみて、いかがでしたか?
思い描いていた夢が叶ってもちろん嬉しかったです。平昌オリンピックのときは、スポーツの取材だけでなく“韓国と北朝鮮”という問題にも触れることになったので、どのように取材を行い、緊迫感をどう届けるのか、伝える難しさを感じた現場でした。スポーツ以外にも、暴徒化しているデモの状況を中継するなど、手探りのなかで現地の様子を伝える日々。反省も多く、毎日悩み続けていたとき、「直撃LIVE グッディ!」で共演していた安藤優子さんから、「たとえ言葉につまってしまったり、表現が拙かったとしても、あなたの伝えたいという気持ちが、言動から伝わってきて、すごく心に響きます。引き続き頑張って」と日本から連絡をくださって。その言葉ですごく自信を持つことができましたし、今でも忘れられない仕事となりました。
ターニングポイントになった5年目
Q6. そんな嬉しい言葉をかけてもらった安藤さんと共演した「直撃LIVE グッディ!」では、当初大きな苦労もあったと聞きました。
それまでは「めざましテレビ」のスポーツを担当していたのですが、番組の性質上、前日からその日の朝までの出来事を的確に伝える正確さを求められていました。ですが、同じ情報番組でも「グッディ」では求められていることが全く違いました。ニュースを深く掘り下げて視聴者の方と一緒に考える必要がありましたし、番組の立ち上げの際には、プロデューサーにも「三田の世代ならではの意見を発信して欲しい」と言われました。そのような期待の一方で、当時の私はニュースに対する知識があまりにも不足していて、2時間まったく話さないで終わってしまうこともあり、自分の知識の甘さに悩み、無力さを覚えることもありました。
Q7. 「めざましテレビ」と「直撃LIVE グッディ!」では、かなりタイプの違う番組だと思うのですが、番組の担当が変わることを聞いたときはどんな心境でしたか?
「めざましテレビ」が大好きだったからこそ、離れるのが寂しい気持ちはありました。一方で、新しい番組を担当できるのはすごく光栄なことで、自分の可能性を広げるチャンスだとも思いました。ステップアップに繋がるんだろうなと。
Q8. 「直撃LIVE グッディ!」を担当された当初の挫折は、どうやって乗り越えたのでしょうか?
「自分の意見を発信してくれ」と言われて、もし私がそこで「今のままでいい、テレビに出ているだけでいい」と思ってしまったら、今の私はいないと思います。当時、「このままではダメだ」と思って、全てを一から勉強し直しました。高校の授業で習ったような法律や裁判の仕組みを勉強し、新聞も全紙、読み込むようになりました。休日も自分でニュースの現場に出向いて肌で感じることを大切にするようにもなり、その積み重ねによって番組内でも少しずつ自分の考えを自分の言葉で発信することが出来るようになりました。
どんな番組をどのタイミングで担当できるか、というのは縁と巡り合わせの側面も大きいと思うんです。しかし、その環境を生かしてどういうキャリアを積み、どんなアナウンサーになっていくのかは自分の努力次第。この仕事は言葉を発信していく立場なので、その言葉で人を傷つけることもできるし、背中を押すこともできる。だからこそ責任も大きいですし、努力も必要になってくると思うんです。
報道キャスターという新しいジャンルに挑戦した9年目
Q9. 9年目からは「LIVE News α」「Mr.サンデー」を担当されています。報道キャスターになられて変化は?
「キャスター」は原稿を正確に読むだけではなく、独自の視点や分析、意見も求められていると私は考えています。自分の意見を発信することには不安も伴いますが、視聴者の方から「あの意見に励まされた」「共感した」という声をいただけるときもあり、報道番組に携わる喜びを感じています。またニュースを知る手段がこれだけ多様化している世の中ですが、便利になる一方で、情報が偏ってしまう側面もあります。だからこそいろいろなニュースを取り扱い、視聴者の方が興味のない分野だったとしても分かりやすく、自分事としてとらえていただけるように、言葉を選びながらお伝えすることが大事なのだと日々感じながら番組に臨んでいます。
Q10. 先週記事を公開した井上アナウンサーが、三田さんのことを「努力家」と仰っていました。キャリアを重ねた今でも努力を重ねていける原動力はどこにありますか?
この職業ならではの、責任感でしょうか。あるとき番組で、週刊誌の情報をプレゼンする、という企画がありました。そこで私は雑誌に載っている情報をそのまま伝えたのですが、ゲストに「三田さん、それって本当? 自分で調べたの? 今の言葉を本人が聞いたらショックだと思うよ」という指摘をされたことがありました。バラエティ番組だったので冗談めかして話してくださったのですが、自分の浅はかさに気づくと同時に、自分が発する言葉の重みを実感する貴重な経験として今でも心に残っています。
今は毎日生放送に携わっていますが、そうした中でも自分の発する言葉の重さを感じていますし、中途半端に伝えることはできないなと身が引き締まります。
三田アナのこれからの目標は?
Q11. 最後に、これからどんなキャリアを積んでいきたいか、イメージがあれば教えてください。
フジテレビに入ってすごく魅力的だなと感じているのが、自分の希望や目指すところがあれば、努力次第ではありますが叶えてくれようとする社風です。これまでの10年を振り返っても本当にそう実感します。入社した当初は、5年くらい働いたら家庭に入って仕事は辞めているかな? なんて思っていたのですが、今アナウンス室を見渡せば、結婚、出産を経て仕事を続けている人が大勢いますし、本当に輝いて仕事をしている人が多い。そんな環境で働けているのは幸せなことだなと思っています。
これから先、と聞かれるとそこまで大きなビジョンがあるわけではないのですが、これからも自分の言葉に責任をもって、視聴者の皆さんに寄り添ってニュースをお届けしていきたいと思っています。
三田友梨佳アナウンサーに、10年にわたるキャリアを振り返っていただいたインタビュー、いかがでしたか? 多くの経験をしてきた三田さんだからこそ、アナウンサーを志望するみなさんの心に響く言葉も多かったかと思います。
次回は4月2日(金)に生野陽子アナウンサーのインタビュー記事を公開します。ママとして働くことの葛藤や、楽しさなどを語っていただきます。ぜひ来週もお楽しみください。
撮影/佐々木大輔 取材/望月優夢 編集/岩谷 大