「すべての人に夢とファッションを」このフレーズを目にしたとき、素直にいいなあ、私たちの想いと同じだなあ、と思いました。
フィリピンのスラム街の子供たちにファッションで夢を与えている、西側愛弓さんは偶然にも、JJライター石津と学生時代からのお友達。世界中の女のコの未来から、私たちのちょっと先の未来まで。熱~い「ガールズトーク」になりました。
高校までずっとなーんにもせず帰宅部で。勉強しないし、人生退屈だなって
西側さん:私があいちん(石津のニックネーム)と出会ったのっていつだろう…、20歳ぐらい?
石津(以下A):私が甲南大学の3回生でJJの学生ライターをしていて、あゆぽん(西側さんのニックネーム)は神戸女学院大学の2回生で。ホームパーティで知り合ったんだよね。
西側さん:そうそう! 神戸の大学生で、兵庫の別邸を貸し切ってホムパしていて。出会ったのは、旧グッゲンハイム邸だったよね。
A:本気のホムパ!ってかんじだったね(笑)
西側さん:そのとき、私はChamerという海外SNAPの雑誌を作っているところで。モロッコ・スペイン・フランス・ベルギー・イギリスへ2カ月くらいひとり旅して、帰国して二日後ぐらいにそのパーティに。
A:「神戸でひとりで雑誌作っているコがいる」って聞いて、私も神戸でJJのライターアシスタントやっていたので気になっていて。そしたらちょうど旧グッゲンハイム邸で、運命の出会い! Chamerは3号まで発行してるけど、ひとりで作ってたんだよね。
西側さん:そう。3号目だけ、友達にページデザインを手伝ってもらったよ。それまではずっとワードで編集してたよ(笑)。ひとりでカメラ持って、海外を旅して、SNAPして雑誌作ってた。
A:全部ひとり! それまで留学経験や写真の勉強は?
西側さん:全く(笑)。海外行ったこともほとんどなく、カメラを買うところから始めた!
A:すごい行動力だよね。
西側さん:いや、高校までずっとなーんにもせず帰宅部で。勉強しないし、人生退屈だなって。
どの国でもボロボロの服を着ている子供たちが普通にいるっていうのが衝撃的だった…
A:大学に入っていきなり覚醒!?
西側さん:何かしたいって気持ちはあったんだけど、やりたいことがなかったの。まわりの評価軸も①顔が可愛い②頭がいい③運動できる④音楽できる、みたいな4つくらいしかない。私は一生JJとか雑誌を読んでいてファッションが好きだったけど、何も結びつくものがないし、評価されることもないし、できることもないし。ずっとモヤモヤしてた。で、大学入ってアルバイト始めてお金貯めて、旅をして。絶対初めはNYだって思ってビビビッ!ときて18歳のときにひとりで渡米。
A:海外SNAPの雑誌を作るところから、フィリピンでの活動って少し距離がある気がするんだけど、どういう経緯で?
西側さん:雑誌を作るためにひとりで海外をまわっていたときに、とにかく貧乏旅行だったから、ちょっと治安の悪いところも行っていて。どの国でも、表向きの観光地と、裏側のギャップがすごくて。そして、どの国でもボロボロの服を着ている子供たちが普通にいるっていうのが衝撃的だった…。そのときに初めて、自分はファッションを好きになれる環境にいるんだなと。好きになれたことも、当たり前のことじゃない。私はファッションで人生が変わったから、次は自分がファッションで子供たちに夢を持つきっかけを作りたいなって思って始めようと思ったんだけど…
A:雑誌Chaermerを作ることで自分に自信が持てたんだね。
西側さん:そう! 雑誌を作ったことで自分に自信を持てたの。取柄もない自分でも、頑張れば何かしらできるって。元々自信がなかったからこそ、自信を持つことは大切だとも気づいたの。私が旅で出会った貧しい環境にいる子供たちは、どこか自信がなさそうだと感じたから。そこで彼らにファッションショーでランウェイを歩く体験を届けられたらどうだろうって。前向きになれる体験を作れないかと思ったの。ランウェイを歩く時みたいに、みんなで胸を張って未来を歩んでいきたいと思って。
一度も行ったことはなかったんだけどココだ!って決めた
A:なんでフィリピンだったの?
西側さん:理由は…グーグルで(笑)。
A:どういうこと??
西側さん:グーグルで「アジア・貧困」で調べたら、フィリピンが出てきたから。
A:そこは意外と安… 直?(笑)
西側さん:そこは特にストーリーなくて(笑)。まずは日本の近くから始めよう!と。ググったら、フィリピンが出てきて「ココや!」って。そのときの私のフィリピンのイメージはセブ島のリゾート。安く行けるから大学時代の友達がよくセブ島に行ってて、え、みんな行ってるあのセブ島の国ってこんなとこあったんだ…って。今、活動の拠点を置いてるパヤタスっていうゴミ山の地域があるんだけど。
A:パヤタス?
西側さん:パヤタスっていう、マニラにゴミ収集場があって、そこを囲うようにスラムになっている地域があるの。その写真を見た時に、もうここだなってビビビッ!ときて。一度も行ったことはなかったんだけどココだ!って決めた。
A:そのときは…まだひとり?
西側さん:ひとり。まずはひとりで、アポ電。現地になんのコネクションもなかったから、いっしょに活動してくれる団体を見つけようと思って、フィリピンに支援をしているNPO・NGO団体に片っ端から30くらい電話。そこでまず一つだけ協力してくれる団体を見つけた。
A:30件かけても一つだもんね…。
西側さん:もう、本当に…。最後の最後に電話をかけた、NPO「国境なき子どもたち」という団体だけが承諾してくださって。あのアポ電は本当に心が折れそうだった。
大学生が何言ってるの?みたいな感じで相手にしてもらえなかった
A:案外厳しいね、一緒にやってくれそうなのに。
西側さん:貧困地域にはファッション必要ないんですって言われることがとっても多くて。大学生が何言ってるの?みたいな感じで相手にしてもらえなかった。子供自身がいらないって言ってないのになんで大人は決めつけるんだろうって思いながら、諦めそうになりながら30件アポ電。でも「国境なき子どもたち」のおかげでフィリピン現地との関係を作ることができた。でもそれから会場の確保と衣装の調達をする必要があって、またひとりでジタバタしていたら、友達たちが一緒にやるよって言ってくれて。
A:じゃあ最初は、あゆぽんしょうがないなあ~みたいな。
西側さん:そう、ひとりでジタバタしている私を見るに見かねて(笑)。友達と、6人で今の『DEAR ME』が始まった。そこからとにかくファッションショーの日程をまず決めて、航空券もみんなで買って。ただ会場も決まっていないし服は1着もない…みたいな。
A:どうしたの?
西側さん:今度はアパレル会社にみんなでアポ電を100件以上したんだけど、また断られて。最後、神戸の子供服のブランドさんとか数社がファッションショー開催の3週間前とかに集まった(笑)。
A:ギリギリ!
西側さん:会場も、3週間前にやっと。大学にたまたまフィリピン人の教授がいらっしゃって、その先生のつながりで。
A:ファッションショー開催決めた時は、あゆぽんが日程を決めただけで、他には何も決まってなかったってことだよね(笑)。
西側さん:そうなの! よく友達も一緒にやってくれたよね(笑)。で、ファッションショーの4日前に初めてフィリピンに行って。モデルとしてランウェイを歩いてくれた子供は20人くらい、観客は800人くらいも来てくれたの!
A:すごいね、よく集まったね。
絶対にこの活動は続けていかないといけないなって思った
西側さん:そのとき初めてスラムに行ったから、継続することは考えられていなかったんだけど、終わったとき絶対にこの活動は続けていかないといけないなって思った。
A:何で続けようと?
西側さん:子供たちがファッションショーで変化する姿を見たから。子供たちも最初は、異国のよくわからない大学生が来た、と思っていたと思う。言葉もタガログ語で通じないし。でもはじめはプイッてしてたコが、衣装を見た瞬間に目がキラキラに輝いて。はっ! これ、自分が着るの?この帽子かぶっていいの?って。そのときの表情の変化が忘れられない。そして実際にランウェイを歩いて、終わったら全員が、Thank you Ayumi!!!ってダッシュしてきて抱きついてくれたの。ほんとにありがとありがと~~!って、もう一回歩きたい! 次いつやるの? 次いつ来るの?って。だから、半年後に来るよ! またファッションショーやるよって約束しちゃった。
A:そこで半年後って決めちゃうのが、あゆぽん(笑)。
西側さん: 春休みならフィリピン行けるな、だったら半年後の2月かなって。1回約束したことは破れないので、私も。だからそこからまた準備スタート(笑)。それからかれこれ6回開催。最初は年に2回、2017年からは年に1回のスパンで開催しています。
【次回予告】
次回は、夢のために就職・退職した西側さんの会社員時代のお話をご紹介。
「やりたいこと」や「自分らしい働き方」を探している方、必見です!
撮影/杉本大希 取材/石津愛子 編集/小林麻衣子
※この掲載の情報はJJ12月号を再構成したものです。