【もりおか歴史文化館】テーマ展「藩校助教藤井又蔵の足跡」

株式会社乃村工藝社 施設運営事業
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藤井又蔵とはいかなる人物か・・・?1人の藩士の足跡を辿る。

 本展は、江戸時代末期に盛岡で生きた一人の盛岡藩士についての展示です。その藩士の名は藤井又蔵といい、長州出身で、橋野高炉を建設した大島高任の父で盛岡藩医を務めていた大島周意のもとで医術の修行をするためにこの地にやって来ました。医者として修行に励むうち、弘化3年(1846)年3月に盛岡藩士として召し抱えられ、藩校の助教(教員)を務めるようになります。
 藩校とは、江戸時代、藩が藩士を教育するために設置した学校で、主に儒学(中国古代の孔子の教えを研究する学問)と武芸が教えられました(後に国学(『日本書紀』や『万葉集』など日本の古い書物を研究する学問)・医学・洋学も加えられた)。実は、藤井は医術を志す以前は、将軍直属の家臣を教育する昌平坂学問所で学び、儒学に精通した人物で、当時藩校での教育を改めようとしていた13代盛岡藩主・南部利済の目に留まったようです。
 藤井は藩校の助教として藩士の教育に力を注ぐ一方で、盛岡藩主家南部家の子供たちへ儒教の指導を行うなど、盛岡の教育に尽力しています。特にも、『論語』など儒教で最も重要な経典である四書五経を出版して藩士らに広めたことは注目されます。また、藤井に教えを受けた者たちが、明治以降に岩手県内の教員として活躍しており、藤井の残したものは、後の時代にも引き継がれています。
 盛岡藩の藩校の実態については、藩校に関する同時代に記された記録がほとんど残されておらず、未だ不明な点が多いのが現状です。藩校の改革が行われた時期に活躍していた一人の藩校助教の事跡をたどるとともに、盛岡藩の藩校、南部家の教育の一端が垣間見ることができれば幸いです。

展示期間 開催中~12月16日(月) ※休館日:11月19日(火)

展示会場 2階歴史常設展示室・展示室V

開館時間 9:00~18:00(※入場受付は17:30まで) 

観 覧 料 一般300円、高校生200円、小・中学生100円、団体(20人以上)は各2割引
   ※2階企画展示室にもご入場いただけます

主 催:もりおか歴史文化館活性化グループ

問合せ:もりおか歴史文化館 TEL:019-681-2100 FAX:019-652-5296
もりおか歴史文化館公式ホームページはこちら ( https://www.morireki.jp
【展示内容】
又蔵とは?盛岡との出会い長州出身の医師・藤井平仲(ふじいへいちゅう)は、大島周意(おおしましゅうい)の下で医術の修行をするために盛岡を訪れた。その後、盛岡藩に50石取りの藩士として採用され、藩校「明義堂」の助教となった。


盛岡藩家老席覚書〈弘化3年3月20日条〉 弘化3年(1846)/もりおか歴史文化館収蔵

又蔵の仕事1. 盛岡藩士への指導藤井又蔵は、藩校「明義堂」で月6回の講義を行うなど藩士の指導にあたった。


明義堂図(めいぎどうず) 江戸時代後期/もりおか歴史文化館収蔵

又蔵の仕事2. 四書五経の刊行当時、盛岡藩内で不足していた四書五経(儒教の教科書)を出版し、藩内に儒教の教えを広めることに尽力した。


盛岡藩刊行の四書(ししょ) 嘉永2年(1849)/もりおか歴史文化館収蔵

又蔵の仕事3. 南部家子弟への指導藤井又蔵は、藩士の指導に当る傍ら、13代盛岡藩主南部利済(なんぶとしただ)の子供らへ儒学の指導も行った。


御側雑書〈弘化3年10月26日条〉 弘化3年(1846)/もりおか歴史文化館収蔵


展示室の情景

もりおか歴史文化館
もりおか・城と城下町フィールドミュージアム
盛岡城跡公園の一角にある町なかミュージアム。1階は無料で、盛岡を代表する祭りや旬の観光情報を紹介。2階展示室(有料)では盛岡藩の歴史や藩主南部家に関わる資料を展示しています。

所在地  〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1-50
電話番号 019-681-2100
URL   https://www.morireki.jp

もりおか歴史文化館は、もりおか歴史文化館活性化グループ(株式会社乃村工藝社、公益財団法人盛岡観光コンベンション協会)が指定管理者として運営しています。

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